2013.10.06 Sunday
「能登半島」のお引っ越し
このブログ「能登半島」を下記のサービスに統合しました。ブログオタクのようにあち こちに書き散らかしてきましが、散乱する気持ちをまとめる意味もあります。移転先は広 告の掲載もなくシンプルで気持ちのいいサイトです。これで種々雑多な日常もいくらかシ ンプルになるといいんですが。引き続きご愛読くださるとうれしいです。
「kazesan」
2013.10.05 Saturday
鴻の里 #003 囲炉裏
火を囲むだけで和んでしまうのに、大きな囲炉裏を切ったこの空間に入った途端、思わ
ずため息が出た。足下の板がいくらか軋む音を聞いてぞくっときた。なんという贅沢。そ
の時代の人々がどんな思いで暮らしていたものか知る由もないけれど、この囲炉裏の傍に
佇み話し込む人と人を見ながら感じたのは、日本の美しさだったかもしれない。向き合っ
て話すだけならいつだってどこでだってできるだろう。だがその場に、自ずと生まれる静
寂はあるだろうか。その静寂を慈しむように味わう瞬間はあるだろうか。人と人が交わる
全うな環境が、古い日本には揃っていた。そして今も残している家がある。
2013.10.04 Friday
鴻の里 #002 家
鴻の里について案内された家屋敷に、まず驚いた。豪邸や洒落た建物を見てもほとんど
無感動で終わるのが常で建築などには知識もないから興味がわかないんだろうと自分では
思っていた。それはこれまでにない不思議な感覚だった。住んでいるのはおそらく鴻さん
たちだけではないのだろうと思わずにいられなかった。霊感とかオカルト的なものでなく
感じていたのはおそらく歴史というその場に堆積している時間のことだった。薄汚れて崩
れかけた土壁にさえ風格が漂っている。痛んでいるというより、持ちこたえているのだ。
聞けば築百三十年という。見ず知らずの何世代ものご先祖の方々を思い浮かべたくなった
生まれてこの世で生きていくことは決して自分ひとりの力では叶わないことを多少なりと
も人なら誰もが感じていることだろうが、古い家の前に立つとその意味がいくらかわかっ
たような気がした。代々生命を受け継いできたというだけでなく、人は古より今も脈々と
息づいている力に守られているのだろう。鴻さんの家がその表れのひとつなんだと思った
2013.10.03 Thursday
鴻の里 #001 夫婦
鴻さんに出会ってそろそろ三年ほども経つだろうか。はじめは奥さんの章子さんの方だった。
「これ、なんて読むんですか?」とおそらく誰もが尋ねるにちがいない、鴻さんたちにとっては
お決まりの質問をして、返ってきたのが、びしゃごです、だった。何度も会うことはないだろう
と、問い返すのを躊躇い覚えたような顔をしてしまった。せっかく教えてもらったのにその後も
なかなか覚えられず、なんとも情けないかぎりだ。それが今では、鴻の里と呼んで何度か訪ねる
ほどにまでなっている。この春に出会ったご主人の豊彦さんとは同い年だった。
三年前に豊彦さんの生家に住み始めたおふたりは今、自然農に取り組んでいる。「この棚田の
風景を残したいんです」との思いを聞いて、同世代として、さらには半農半写真的な暮らしを夢
見ている者として、なんとも羨ましい気持ちになった。田舎暮らしは決して生易しいものではな
いようだが、何が羨ましいと言って、同じ目的に向ってふたりで歩いていることだった。結婚し
て三十年あまりにもなる今頃になってときどき考えるのは、夫婦について。好いた惚れたの時代
などあっと言う間に過ぎ去った。長く連れ添った夫婦にとっての晩年の日々をもしもちがう先を
見て暮らすなら、いったいなんのための夫婦なんだろう。などという思いもめぐらしながら、鴻
の里通いを続けてみようかと…。
自然農とは、耕さず、肥料や農薬を一切使わず、草や虫を敵としないというもの。とても興味
がある。
2012.08.28 Tuesday
あの日から
1987
あの日から25年も経っている。ふたりの老婆が座り込んで話していたのは
宇出津だったか、奥能登にはちがいないけれど、記憶があいまいになってい
る。おふたりとももうこの世にはいらっしゃらないだろうか。町をさまよっ
ただけの行きずりの者に投げかけてくれた笑い声が蘇ってくるようだ。あの
頃は写真のことなんてなんにも分かっていなかった(今なら分かっていると
でも言うのかい?)。残りの日々で撮ることにした能登の、ほんの少し昔の
話を、それがどんなに個人的なかりそめのものだとしても、そっと大事に携
えて歩こう。そこから始めるしかない、そこからしか始まらない。ね、おば
あちゃん。
あの日から25年も経っている。ふたりの老婆が座り込んで話していたのは
宇出津だったか、奥能登にはちがいないけれど、記憶があいまいになってい
る。おふたりとももうこの世にはいらっしゃらないだろうか。町をさまよっ
ただけの行きずりの者に投げかけてくれた笑い声が蘇ってくるようだ。あの
頃は写真のことなんてなんにも分かっていなかった(今なら分かっていると
でも言うのかい?)。残りの日々で撮ることにした能登の、ほんの少し昔の
話を、それがどんなに個人的なかりそめのものだとしても、そっと大事に携
えて歩こう。そこから始めるしかない、そこからしか始まらない。ね、おば
あちゃん。
2012.05.10 Thursday
朝市のばっちゃん
輪島 2012
(あれ、あのあばさんだ)連休中の朝市は休んでいる店もあるようで空きスペース
が目立ち、意外にも閑散としていた。あのおばさんの魚屋さんは、だからとても目
立っていた。「こんな大きな鯛、いくら?」との客の声に、「三千円じゃ」とぶっ
きらぼうに答えている。(へえ、あれだけかけて仕入れて、その程度の値段で売る
のか、こりゃお買い得だ)なんだか面白くなってきた。流れが見えるんだもの。今
回の能登は『風の旅人』編集長の佐伯剛さんをご案内するものだったが、移動する
車の中でまたおばさんのことが話題になった。「追いかけるといいですよ、絶対面
白い。おばさんだけじゃなく、海から食卓まで、魚の旅も描けばもっといい」。佐
伯さんの言葉に改めて思った。あのばっちゃんとこのカメラおじさん、出合ってい
るのかもしれない。
(あれ、あのあばさんだ)連休中の朝市は休んでいる店もあるようで空きスペース
が目立ち、意外にも閑散としていた。あのおばさんの魚屋さんは、だからとても目
立っていた。「こんな大きな鯛、いくら?」との客の声に、「三千円じゃ」とぶっ
きらぼうに答えている。(へえ、あれだけかけて仕入れて、その程度の値段で売る
のか、こりゃお買い得だ)なんだか面白くなってきた。流れが見えるんだもの。今
回の能登は『風の旅人』編集長の佐伯剛さんをご案内するものだったが、移動する
車の中でまたおばさんのことが話題になった。「追いかけるといいですよ、絶対面
白い。おばさんだけじゃなく、海から食卓まで、魚の旅も描けばもっといい」。佐
伯さんの言葉に改めて思った。あのばっちゃんとこのカメラおじさん、出合ってい
るのかもしれない。
2012.05.09 Wednesday
競り
輪島港 2012
「ええい、この強欲ばばあ」と、聞こえた気がした。魚市場の競りは
お目当ての魚を物色するプロの目が並びその中に忍び込むだけで緊張
するものだが、いくらか老齢な女性に浴びせられた男の声にこの部外
者はますますたじろいだ。突然目の前ではじまったやりとりにそれで
も自然にカメラが向いた。負けないで睨んでいる。笑っている。済ま
なさそうに目をそむけている。なんだかほっとして、その場にいられ
たことに小さな感動を覚えた。輪島港の市はとても人間臭いようだ。
ばっちゃんは大きな鯛を独占するように何尾も仕入れて行った。たく
ましい。生きのいい魚とおんなじで、見とれるばかりにまぶしかった
「ええい、この強欲ばばあ」と、聞こえた気がした。魚市場の競りは
お目当ての魚を物色するプロの目が並びその中に忍び込むだけで緊張
するものだが、いくらか老齢な女性に浴びせられた男の声にこの部外
者はますますたじろいだ。突然目の前ではじまったやりとりにそれで
も自然にカメラが向いた。負けないで睨んでいる。笑っている。済ま
なさそうに目をそむけている。なんだかほっとして、その場にいられ
たことに小さな感動を覚えた。輪島港の市はとても人間臭いようだ。
ばっちゃんは大きな鯛を独占するように何尾も仕入れて行った。たく
ましい。生きのいい魚とおんなじで、見とれるばかりにまぶしかった
2012.05.08 Tuesday
水揚げのとき
輪島港 2012
ギャーギャーとウミネコが鳴きながら頭上を舞う港は、たくましい生の魅力で
あふれている。「ええな、くそ」。水揚げに忙しい男の怒声が聞こえてきた。
狙いをすました鳶がサッと一尾かっさらっていったのだ。ふと浮かんできたの
は、『風の旅人』創刊号にある野町和嘉の鳥葬の写真と話だった。東チベット
では死ぬと鳥に喰われる。僧侶が遺体を切り刻み、それをハゲワシたちがあっ
という間にたいらげるのだそうだ。「命を終えた者が他の生き物のために出来
る、最後のお布施なのである」と書かれている。生温い日本にいると感じられ
なかった命の在り処だが、あの巨大な津波が、死と生が表と裏の関係でしかな
いという事実を突きつけた。心底生きるためには、まずはいつ死んでもいいと
いう覚悟が必要になるのか。時折鳥が遮る朝の光が、やけに眩しかった。